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TSUNAGU:つなぐー日米の架け橋として活躍する人物を探る
Activ8インタビュー・シリーズ

「TSUNAGU(つなぐ)とは“結ぶ”こと。働き手を探す人と仕事を探す人を結ぶ、異文化を結ぶ― かたちは違えど、私たちActiv8はより良き世界の実現のため「架け橋」となり日夜努力している方々に、心からの敬意を表します。Activ8の新しいシリーズ「TSUNAGU」は、ビジネス、教育、芸術、文化などを通じて日本とアメリカをつなぐ、インスピレーションあふれる人々を特集します。

第9回:Koby Shimadaさん:映画監督、KOBY PICTURES, Inc創設者 

今回の「つなぐ人」は、ロスアンゼルスで映像会社KOBY PICTURES, Inc.を経営する、Koby Shimadaさん。東京で生まれ育ち、25歳までは“普通の”社会人生活を送っていたKobyさんをある日いきなり映画の道へ、ハリウッドへと導いたのはほんの小さな出来事がきっかけ。Kobyさんの“つなぐストーリー”には、二度とない人生を生きる大きなヒントが隠されていました。

“元カノ”がつないだアメリカ(ロスアンゼルス)への道

高校、大学(日大)とラグビー漬けの日々を過ごし、卒業後は外資系コンピューター会社の営業部で働いていたKobyさんのもとに届いた一通のメールが、彼の人生を動かします。

「高校時代の彼女からでした。『私、(スイス人と)結婚してスイスに行きます』という内容でした。国際結婚自体が遠い世界の話だと思っていたので、身近に海外に行く人がいることにものすごく衝撃を受けました。自分は日本でなんてちっぽけなことをやってるんだ、と思えて。その日のうちに会社を辞めることを決めました」。

とはいえ、行く先もやるべきこともわからぬまま出した結果はハリウッド俳優になることでした。「もともとエンターティメントは好きだったので、役者ならその気になれば誰でもできるかもしれない、役者をするならハリウッドだな、と(笑)」。演技経験もなく、英語も話せなかった25歳のKobyさんのロスアンゼルス移住計画は、こうしてアンビリーバブルな自己肯定力のもと実行に移されたのでした。

本場ハリウッドの現場で学んだ映像技術

ロスに渡ったKobyさんは、さっそく語学学校と俳優養成学校に通いながら英語と演技の勉強をスタート。全米映画俳優組合にも籍を置き、数年後には「ラストサムライ」「スパイダーマン2」「インセプション」などのハリウッド映画にもエキストラ出演するようになりました。

「その間もいろいろなオーディションを受けましたが、なかなかうまくいきませんでした。そんなときに仲間と映画を作り、撮るほうが面白いなと思い始めたんです」。現場をもっと知ろうと、撮影スタッフとして参加して仕事を学ぶようになりました。「照明や音声、カメラなどいろんな部署を経験させてもらいました。とにかく手が足りないから未経験者にもいろいろやらせてくれる、そこがアメリカのオープンなところですね。そのときの経験が今、すごく役に立っています」。

アメリカでの22年を支えた、ラグビーがつないだ縁

「当初はこんなに長くアメリカにいるつもりはなかったんです」と当時を振り返るKobyさん。「学生ビザは5年間だったし、お金が無くなったら帰ろうかな、くらいのつもりでした。それが、気が付けばもう22年ですからね(笑)」。そんな彼のアメリカ生活を支えてくれたのは、ラグビーを通じた人とのつながりでした。

所属していたラグビーチームのチームメートの紹介で就職した会社からビザとグリーンカードのサポートを受けた後、自身の立ち上げた映像会社で2008年に独立。リーマンショックのまっ只中でしたが、コーディネートの仕事やフィルム・アカデミーの教師アシスタントなどさまざまな仕事をこなしたそうです。「ありがたいことに、いろいろな人たちから新しい仕事をいただきました。常々自分がどんなことをやりたいのかを口に出して言うことを意識していたことで紹介いただけた仕事だと思っています。動いていればいつかはちゃんとつながってくるんですね」。

『Dr. Bala』との出会い

アメリカの生活で大きな出来事の一つは、Dr. Balaこと大村和弘(カズ)医師との出会いでした。ミャンマーやカンボジアなどアジアの医療後進国へ毎年休暇をなげうって医療奉仕に通い続けるカズ医師を追い続けたドキュメンタリー『Dr. Bala』は、Kobyさんが12年をかけて撮影。2022年に完成し早くも諸外国の映画祭で選出されている注目作品で、インドの映画祭(Indian World Film Festival)でBest Documentary賞を受賞。フランスの映画祭(Beyond the Curve International Film Festival)ではファイナリストに選ばれており、韓国とアメリカの映画祭にもノミネートされています。

「カズとの出会いのきっかけもラグビーでした。2006年にUCLAに短期留学にきていた彼が僕の所属する日本人ラグビーチームに入ってきて意気投合したんです。偶然にも同じ町田市の出身で、実家もすぐご近所でびっくりしました」。

その後カズ医師が2年間のアジアでの医療ボランティア活動から帰ってきたときに東京で再会、彼の国際協力、とりわけアジアの医療に対する熱い思いに感銘を受け「いつかドキュメンタリーにできたらいいね」と語り合ったそう。それからカズ医師の活動を追いかけ、いつの間にか12年間分の活動の記録が集まっていました。

「好きなことを楽しくやっている彼の姿に刺激を受けました。好きなことを一生懸命やっていると、誰かの心が動くことがある。映像では人の命は救えないけれど、元気を失ったときに作品を見て一歩前に進む大きな力になるんじゃないかな、と思えたんです」。

直面した挫折と、乗り越えた「現場力」

アメリカに来た当初はやはり、言葉の壁で苦労したというKobyさん。「わざと高速でしゃべりかけてこられたり、仕事先の電話で英語で話しているのに『英語しゃべれる奴に代われ』と言われたり、悔しい思いをしたこともたくさんありました。役者の仕事をしているのに、ラグビーで前歯を2本折ったときは『自分はいったい何しに来たんだ?』と落ち込みましたね」

それを乗り越えたのは、Kobyさんが大事にしている「現場力」。「僕にとっての救いは、最初所属していたアメリカ人のラグビーチームの仲間たちでした。日本人だからとなめて向かってきた相手に正々堂々とタックルをして大いに盛り上がり、とてもよくしてもらいました。また映画の撮影現場で相手の指示がわからないときには、自分で絵をメモ書きして覚えたり、不確かな時はこれだろうと思われるものを3つぐらい用意して持っていったりして(笑)。言葉がわからないぶん誰よりも察し良く早く動きました。そうやって信頼を得たことが自信につながったんです。色々な部署を経験したことが今の監督業に役立ってますし、今では役者が一番難しい職業だと思っています。笑」

アメリカと日本をつなぐために心掛けていること

「自分が意識をしてつなげようとしていることはありません。結果として自分がかかわった作品や映像が“懸け橋”になって、つながっているなと感じてもらえればいいと思っています。我が社の理念は「笑いと涙と感動を」です。エンターティメントで人々を元気づけることは、国に関係なくできるはずですから」。

これからの目標

「絶対やりたいことは、監督としてフィクションの長編映画を作ることですね。ドキュメンタリーっぽくて現実に起こりそうなフィクション、そういうものを作って、せっかくハリウッドに来たのでアカデミー作品賞を取りたいです」。

最後に新しいキャリアを目指している人へのメッセージをお聞かせください。

「“直感”が一番正しいんだよ、ということ。直感とはたまたま生じたものではなく今までの経験から生まれ出てきたもの。自分が楽しかったこと、うまくできたことふまえてのひとつの答えであると思うんです。だから迷ったときはそれに従う、それが次につながるんじゃないかな。僕がエンタメの世界に行ったのも直感だったし、それは正しかったと思えます。心が動いたときを大切にして動いたから、僕の今があるんです」。

KOBY PICTURES, Inc.
Webサイト:www.kobypics.com
YouTube:www.youtube.com/kobysan
Dr. Bala公式サイト: www.kobypics.com/drbala

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