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「TSUNAGU(つなぐ)とは“結ぶ”こと。働き手を探す人と仕事を探す人を結ぶ、異文化を結ぶ― かたちは違えど、私たちActiv8はより良き世界の実現のため「架け橋」となり日夜努力している方々に、心からの敬意を表します。Activ8の新しいシリーズ「TSUNAGU」は、ビジネス、教育、芸術、文化などを通じて日本と北米をつなぐ、インスピレーションあふれる人々を特集します。

第18回 馬(ムー)史緒(旧姓丸山)さん:チーム河内音頭創始者、元LA関西クラブ会長

今回はLAを拠点に活躍するチーム河内音頭の創始者、馬史緒さん(Moo Fumio、52歳 旧姓 丸山)を紹介します。地域活動の一環として始めた盆踊りに魅入られ、元PRウーマンの手腕とトリリンガルの語学力を生かして全米に「踊りの輪」を広げています。夏の風物詩でもある盆踊りは、言語や人種を問わず人と人を結ぶ不思議な力があります。踊りの輪に加わって「落ち込んでいたけど元気が出た」という人もいます。つらいことがあっても踊りで明日につなげてもらおうと、今年の夏はシカゴ遠征を成功させ、この秋はアリゾナにも出かけます。次は2025年に開く大阪・関西万博でLAの河内音頭を披露するのが目標です。組織を生み育て上げる秘訣を聞きました。

写真)日本の伝承文化に造詣が深かった祖父母に可愛がられて育った
「盆踊りガール」、詩吟を習った子供時代

大阪市内で音楽教師の父と、英語教師の母のもとに生まれました。自由に楽しく育って欲しいと願う両親からは勉強しろと言われたことはありません。子供時代は空想好きでおとなしい本の虫だったそうです。運動は苦手だが踊りや音楽が大好きという「盆踊りガール」の素養は芸能好きの祖父母から受け継いだものです。祖父は民謡の歌い手、祖母は詩吟や日舞が得意で社交的。史緒さんも当時の子供としては珍しく6歳から15歳まで祖母から詩吟を習うなど、日本の伝承文化に囲まれて育ちました。盆踊りの音楽は民謡です。詩吟のおかげで各地の民謡に詳しくなりました。日本独特の音階を理解できるのも、歌って踊るのが大好きなのも「(ご先祖さまの)血だよね」とニッコリ笑います。

子供時代は河内音頭の本場八尾で過ごし、高校も大阪府八尾市にある八尾高校に通いました。中河内地域にある八尾は河内音頭の本場で「最多人数で踊る盆踊り世界一」のギネス記録を持っています。夏になると市内のあちこちに櫓が立ち河内音頭が流れますが、2017年に開いた第40回八尾河内音頭まつりでは2872人が踊り「伝統的な衣装を着用すること」、「5分間参加者全員が同じ踊りを踊ること」を条件にしたギネス記録を樹立しました。今年7月に東京中野で「東京音頭」の盆踊り大会がギネス記録の更新に挑戦しましたが、八尾の記録に6人足りず敗退しています。

unknown_1.png写真)河内音頭の本場、八尾の盆踊り

河内音頭は阿波踊りや炭坑節と同じ盆踊りの一つです。盆踊りはお盆に帰ってきたご先祖や精霊を供養する宗教的な意味合いを持ちますが、平安時代に仏教の民間布教のため空也上人が始め、鎌倉時代に一遍上人が広めた念仏踊りが原型といわれます。和製ラップ、大阪人のソウルミュージックともいわれる河内音頭のルーツについては諸説ありますが、一説によると発祥地は奈良時代に建てられた八尾の常光寺です。室町時代に伽藍(がらん)を再建する大工事が行われ、木材を運ぶ際の人々の掛け声が、木遣歌(きやりうた)となり、やがて念仏踊りと溶け合って「流し節正調河内音頭」が生まれました。常光寺では今でも毎年この流し節を披露する地蔵盆踊りが開かれ、環境庁の「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。

写真)大学時代の史緒さん

開いた海外への目、イギリス留学

日本文化に浸かって育った史緒さんの目が海外に向き始めたのは高校時代です。子供のときから仲良しだった従姉が英国に移住したことがきっかけとなりました。ロンドンで5人の子供を育てながら、エルトン・ジョンも食べにくるお好み焼きレストランを開業したバイタリティー溢れる大好きな従妹に刺激され、イギリス留学に踏み切ります。そこで仲良くなったスペイン語圏の同級生たちの影響で、帰国後に関西外国語大学のスペイン語科に入学、得意な英語に加えてスペイン語で夢をみるというトリリンガルに成長します。

就職したのは大阪の某広告代理店。人材派遣業務などを担当し忙しい毎日を送っていましたが28歳で「燃え尽きて」仕事を辞め、今度はスペインに留学します。狭い日本にいて毎日必死で働いていたのがウソのような毎日でした。ルームメートはドイツ人。ここでもグローバルな友達関係を築いてネットワークを広げました。

写真)スペイン留学時代、ドイツ人のルームメートと

河内音頭と再び縁を結ぶことになるLAへの移住は、同僚だった中国系アメリカ人の男性との結婚がきっかけです。MBAを取得するためUSC(南カリフォルニア大学)に入学した夫と一緒に2004年に渡米し、新しい生活を始めました。夫の母はニューヨークでお店を持つビジネスウーマンです。シングルマザーで苦労した母を見て育った夫は将来何があっても史緒さんが自立できるようにと、アパートの契約や税金、ファイナンスといった米国で暮らすために必要な知識を「スパルタ教育」で叩き込んでくれました。

「しんどい時期」、選んだ離婚への道

順風満帆にみえる史緒さんの人生に「しんどい時期」が訪れます。10年以上続いた結婚生活に終止符を打つことになりました。子供が欲しかったのですが、不妊治療がうまくいかず、自分が否定されたように思いました。孫を切望した中国人の義母の期待に沿えなかったうえ、夫がうつ状態に陥ったことも精神的な負担になり追い込まれました。結果的には離婚を選びましたが、この時期の苦しさを乗り越えたことが、今の史緒さんの「盆踊りでつながり人の心の傷を癒す力」の原動力になっています。

河内音頭に再会したのは2018年の夏です。LAで毎年開く歌の選手権に出場する当時80歳の大阪出身の女性が河内音頭を歌うので、浴衣を着て踊れる人を10人ほど集めて欲しいと頼まれました。子供のころ、周りの大人たちに混じって真似をして踊っていましたが、人に踊ってもらうにはまず勉強、と調べるうちに河内音頭のユニークさと踊りの種類の多さに驚くことになります。渡米15年目にしてその奥の深さを知り、河内音頭オタクになってしまいます。

そのころすでに大手保険会社で勤めながらボランティアに励み、日本人コミュニティーの若手リーダーとして頭角を現していた史緒さん。LAに住む関西出身者(大阪、京都、兵庫、奈良)、また関西にゆかりのある人々を会員にもつLA関西クラブの会長に2014年の選挙で就任、2017年に迎えた同クラブの50周年記念行事を取りまとめています。また関西の学生を対象に米国の企業や施設訪問を行う研修プログラムにも賛同する会員が増えていきました。

写真)2019年8月LAのリトル東京で踊るチーム河内音頭

チーム河内音頭が生まれた!

2018年の踊り手集めがきっかけに生まれたのがチーム河内音頭です 2019年アメリカで知られていない河内音楽を本格的にやってみようと、歌い手に太鼓やギターの奏者を加えたエンタメバンドを目指して練習を開始しました。目標は100人の踊り手獲得。マーケティングにも力を入れました。元広告ウーマンの勘とスキルを活かし、SNSを通じて広報・告知活動を繰り広げて知名度を上げていきました。参加してくれる踊り手やファンも徐々に増やしました。「浴衣女子会」を毎週のように開催し、SNSでイベントへの動員をかけました。こうしてリトル東京七夕祭りや野球チームのロサンゼルス・エンゼルスからもエンタメグループとしてお呼びがかかる売れっ子になっていきました。

ところが、翌年にパンデミックに突入。イベントはすべて中止、盆踊りどころではない世の中になりました。しかし活動ができなくなってもへこたれません。周囲の協力を得てズームで盆踊りクラスを立ち上げました。ここで河内音頭だけでなく日本各地の盆踊りについて新たに興味を持ち学ぶことになります。閉塞感のあるコロナ社会の中、「今しかできないことをやる」と前に進み続けました。

unknown_1.jpg写真)2019年7月エンゼルスに招かれ野球場で踊った(中央の白髪の女性が史緒さん)

シカゴ遠征、次のゴールは大阪の万博

その成果でしょう。パンデミック明けが本格化した今年に入り、シカゴ姉妹都市インターナショナル大阪委員会から出演の依頼が舞い込みました。シカゴと大阪の姉妹都市提携50周年記念のイベントに招かれたのです。苦労したのはシカゴで踊ってくれる踊り手探しです。予算の関係でLAから行く踊り手は限られます。SNSや知人の伝手をたどりシカゴで踊ってくれる人を募集したところ、シカゴの阿波踊りチーム「美湖連」や沖縄県人会のメンバーなども参加してくれることになり、ズームで踊りを練習して当日に臨みました。

シカゴでのパフォーマンスは大成功でした。舞台のフォーメーションを工夫し、伝統的な河内音頭だけでなくファンキーな洋楽に乗せて元歌劇団にいたパフォーマーに踊ってもらい観客を沸かせました。時を同じくしてアリゾナ州フェニックスの団体からも10月のイベントへの出演依頼が入り、その活動は全米へと広がっています。次の目標は2025年の大阪・関西万博で踊ることです。

unknown_2.jpg写真)2023年8月シカゴでのパフォーマンスは大成功だった(Chicago Cultural Centerにて)

人を集める力、その秘密は

チーム河内音頭には「史緒さんのためなら」と人が集まります。この人間力はどうしたら習得できるのでしょうか。これからキャリアを積み上げる人のためにアドバイスを聞くと「一期一会を大切にして相手の名前を忘れないこと」、「ご挨拶を大事に」、「目を見て話すこと」と、伝統的な礼儀重視の答えが返ってきました。そのうえで自分の力量を見極めること。エゴを捨て自分の限界を見極め、できないことは他の人にお願いすること。世の中が回るのは自分にできないことをやってくれる人がいるから。感謝を忘れない心を大事にして欲しいそうです。

止まらず前に進み続ける史緒さん。次はずっとあこがれていた太鼓に挑戦したいそうです。理由は今年8月に起きたハワイのマウイ島の山火事です。過去最大規模の災害に見舞われたマウイにもズームでつながった日系人の盆踊り仲間たちがたくさんいます。盆踊りの拠点である数々の寺院が全焼し、おそらく太鼓も残っていません。お祭りには太鼓のリズムは欠かせません。マウイに中古の太鼓を寄付するプロジェクトを考えていますが、まずそのためには自分も太鼓を学びたいと思っています。かつて盆踊りの動きを美しく見せるために日舞を学んだのと同じ発想です。何事にも真剣に「深入り」してみるのが成功の秘訣かもしれません。

昔からやりたかった落語もあきらめてはいないそうです。「いつか、ボケ防止に始めようかな」と冗談めかして話します。10年、そして20年後の史緒さんの進化した姿を楽しみにしている人たちが大勢いそうです。

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