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「TSUNAGU(つなぐ)」とは“結ぶ”こと。働き手を探す人と仕事を探す人を結ぶ、異文化を結ぶ― かたちは違えど、私たちActiv8はより良き世界の実現のため「架け橋」となり日夜努力している方々に、心からの敬意を表します。Activ8の新しいシリーズ「TSUNAGU」は、ビジネス、教育、芸術、文化などを通じて日本と北米をつなぐ、インスピレーションあふれる人々を特集します。

第25回 竜沢静さん:オクラホマ大学日本語専任講師、日本語プログラムコーディネーター


今回は、オクラホマ大学で日本語専任講師として活躍される竜沢静先生を紹介します。竜沢先生は、日本の大学院でアメリカ文学を学ばれた後、アメリカの大学院で英語教授法と日本語教授法を習得。ニューヨークに続き、オクラホマ州で日本語教師として数多の生徒を輩出しています。誠実に生徒に向き合い、情熱を持って教える竜沢先生にお話を伺いました。

アメリカに渡り、日本語教師の道へ

幼い頃から映画などを通して自然とアメリカの生活に憧れを抱くようになったという竜沢先生。次第に「英語を勉強したい」という思いが強くなり、ホームスティや留学を経験。アメリカの自由な精神を肌で感じ、一層アメリカに魅了されていきました。日本の大学院ではアメリカ文学を専攻。院生中は英会話学校や高校で英語を教える仕事に就いたものの、日を追うごとに人種や年齢、性別に関係なくチャンスが開かれているアメリカの風土が恋しくなります。「アメリカに戻りたい。アメリカで学位を取りたい」という思いが沸々と募り、ニューヨーク大学の修士課程でTESOL(Teaching English to Speakers of Other Languages)英語教授法を学ぶことに。「アメリカの文化や英語を学ぶ」という長年の夢が改めて叶った瞬間でした。パワフルで活気みなぎるニューヨークの空の下、世界各国から集まった学友と共に学ぶ日々は大変充実したものでした。同時に、実際にアメリカで生活する中で新たな感情が芽生えました。それは「アメリカ人にもっと日本を知ってほしい」という想い。日本に対する理解度が低かったり、日本語や日本文化について説明を求められたりする度に、「彼らは私という一個人を通して日本という国を知るだろう」と、自らが日本を代表しているという意識が高まっていきました。「日本文化や日本語を正しく伝えていけるようになりたい」との思いから、夏学期を利用してコロンビア大学で日本語教授法修士課程プログラムを受講。日本語教師に必要な専門知識や技能を高めていきました。大学院卒業を前に、日本語教師のオファーをいただき、アメリカに残ることを決意。ニューヨークの高校や大学で日本語教師としてのキャリアをスタートさせます。

新天地オクラホマへ

ニューヨークで教員としての経験を積み重ねる中、2000年に転期が訪れます。オクラホマ州の学術都市ノーマン市にあるオクラホマ大学から日本語教師のオファーをいただいたのです。大好きで住み慣れた大都市ニューヨークを離れ、全く異なる地でのアメリカンライフに期待と不安が入り混じるスタートでしたが、実際にノーマン市で住み始めると人々が親切でフレンドリー。カレッジタウンということもあり教員は東海岸、西海岸また世界各国から来ていて、留学生も多く多様性に富み、とても居心地の良い住環境がそこにありました。オクラホマ大学では外国語教育が充実していて、現在11言語が学べる中、日本語の人気はスペイン語に次いで高く、今年は250名ほどの学生が日本語プログラムに在籍し、日本語専攻の学生が30名ほど、日本語副専攻の学生が70名ほど登録しているそうです。この学生数の多さこそが日本語プログラムが成功している証と言えます。それだけの数の学生を引き込める魅力がプログラムにあるからです。日本語学科は二人の日本文学専門家と4人の日本語教師陣で成り立っており、竜沢先生は長年のキャリアを活かし、日本語学科の“プログラムコーディネーター”として学科を支えています。必要に応じて日本語教師の雇用にも携わり、日本語教師のメンター役も務めています。

竜沢先生は、学内の貢献だけに留まらず、技術向上のため「ACTFL:アクトフル」(The American Council on the Teaching of Foreign Languages:全米外国語教育協会)で開発されたOPI(Oral Proficiency Interview:口頭能力を測定するためのインタビュー)を実施する試験官の資格を取得したり、J E Tプログラムの公式インタビュアーとしても長年携わっています。

授業で心がけていること

今日まで何千人もの生徒を教えてきたという竜沢先生。「学生には常に一人一人誠心誠意向き合い、一回一回の授業に全力を注いでいます」と真剣な眼差しで語ります。だからこそ生徒に対する期待も大きく、能力もモチベーションも異なる生徒がそれぞれの状況の中で成果を出せるように指導してきたそうです。そして“学生も先生も共に楽しみになるような授業”を心がけ、教科書中心ではなく学生中心で、アクティビティやグループワークなどを交え、生活する上で必要となる実用的な日本語を楽しく学べるように工夫しているとのこと。例えば、スピーキングクラスでは、グループワークの一環として、日本昔話をベースにパロディを作りクラスで発表するという課題があります。学生らはユーモアセンスやクリエイティビティを発揮させ、習ってきた日本語を駆使しながら協力し合ってスクリプトを作り上げます。衣装や小道具も手作り。そうしたプロセスを通して日本語学科の生徒達の団結が強くなっていく様子が見て取れるそうです。こうした成果はひとえに日本語学科の教師陣のチームワークの賜物であり「学生だけでなく教員も共に充足感を喜べる瞬間です」と竜沢先生は微笑みます。

授業以外でも、生徒たちが日本語に触れ合う機会を作るため、学年の始まりには「ジャパニーズミングル」という名称で、大学の交換留学制度を通して来た日本人学生と交流する場を設けたり、週二回授業の後に「日本語クラブ」の時間を設け、一緒に日本語の宿題をしたり、会話の練習をするなど、学習に意欲的な生徒がさらに日本語能力を高めていける機会を提供しています。また、日本文化に接する機会を増やすために、日本の本やお菓子、手作りのクラフトなどを売るファンドレイジングイベントを主催したり、日本のコミュニティの中で人材を募り、茶道、書道、おにぎり作り、着物の着付けなど、生徒が伝統文化を体験できる場を作っています。

さらに日本語学科のアカデミックアドバイザーでもあり、日本語専攻・副専攻の学生達に対して、履修コースの確認や卒業後の就職活動に至るまでサポートをしているそうです。弊社との繋がりについてもこのように述べています。「Activ8さんには2014年ご縁を頂いて以来、毎年、学生の就職支援で大変お世話になっております。キャンパスで個人面談をしてくださったり、またパンデミック中はズームでビジネスマナーワークショップを開催してくださいました。パンダミック後は、夏のインターンシップに何人かの学生をダラスとシカゴのオフィスに受け入れてくださいました。これらのサポートは学生達に好評で、今後も末長くご支援いただきたく願っております。」

苦境を超えて

日本語教師として順調にキャリアを積み重ねる中、予期せぬ困難に直面した時期もありました。オクラホマに移住してまもなく大病に見舞われたのです。「死を見つめることによって人生観が変わった。モノの見方や大切なものの順序が変わった。まずは健康で好きな仕事ができること。そして愛する家族がいるからこそ頑張ることができた」と竜沢先生は語ります。配偶者の献身的なサポートを受け、また幸いにも医療が功を奏し、その辛い時期を脱することができました。「人生何があるか分からないですよね。だからこそ一日一日を大切にすること、そしてできる範囲で、納得のいく時間を過ごすことで、その先につなげていけるのではないでしょうか」と語ります。また「周囲のサポートのおかげですが、大変な時期も仕事を続けて来られたことは誇りであり、そして子供を授かってからもそのかけがえのない時期を一瞬一瞬楽しみながら仕事と両立してこられたことは、本当に良かったと思います」と振り返ります。

日本語教師としての喜び

「アメリカ人に日本を理解してもらうこと。それが将来的に両国の友好関係につながれば」との願いを持って生徒と向きあう竜沢先生。学生達が楽しみながら日本語を学ぶ様子に喜びを感じる日々。そして卒業生から連絡が来た時の喜びもひとしおです。卒業生の進路は様々で、日本との関わり合い方も多種多様といえましょう。ある日、一人の卒業生から連絡があり、彼との再会は竜沢先生に大きな驚きと喜びをもたらしました。その卒業生は、JETプログラムに参加し、元々はアメリカに戻りメディカルスクールに通う予定だったところ進路を変え、日本の国立大学で博士課程を終えて現在は助教授として活躍しているとのこと。二人は“お互いの学生が交流できたらどんなに素晴らしいことか”と考え、オンラインを通して両国の学生がそれぞれの国の情報交換をしたり語学の練習をしたりする場を設けたそうです。竜沢先生が蒔いた一粒の種が、時を経て両国にたくさんの花を咲かせ実を結んでいます。一方で日本とは繋がりの無い仕事に就いてアメリカで暮らしている卒業生も大勢います。竜沢先生は、必ずしも日本に行ったり日本語を学び続けなくても、「日本語学習を通して人生の一時、日本に触れた経験がある人が増えるだけでも、それは大きな意味がある」と考えます。少しでも日本に親しみを持つ人が増えていくことこそが、異文化理解を助け、日本とアメリカの友好関係に大切な役割を果たすことは明白でしょう。竜沢先生の貢献は様々な形で認められ、優れた教師に送られるティーチングアウォードを幾つも受賞してきました。中でも2023年には、オクラホマ大学で最も名誉ある賞と言えるRegents’ Award for Superior Teachingを授与されました。この賞は大学の学長や理事会から最も優れた教師に贈られるもので、日本語学科の発展に偉大な成果を収めてきたこれまでの功績が大学全体から認められたことを意味します。「ここまでやってきてよかった。ご褒美のように感慨深い気持ちです」と竜沢先生は語ります。

キャリアアドバイス

キャリアを模索している方々へのアドバイスを伺うと「キャリアは人生の一部ですからとても大切なものです。努力してでも続けたいと思える仕事が見つかったら幸いなことです」との答えが返ってきました。そして特に教師という職業については「精神的な満足感が得られる職業です。大学生という若い世代から学ぶことがたくさんあってとてもエクサイティングですし、たくさんの学生が巣立ち、卒業した後も連絡をしてくれる。この仕事ができて良かったなぁと思います」と笑顔で語ります。そして「自分に合う仕事は人によってそれぞれ違うので、まずは自分が満足できることを探すこと」と適性を見つめる大切さを説きます。さらに若い人達に向けては『継続は力なり』と、諦めずに継続して取り組むことが自分の力となることを強調しています。

将来への展望

これまで高校や大学といった教育機関の中で若い世代にずっと向き合ってこられた竜沢先生。今後は活動の幅を広げて、地域社会と交流する時間も作っていきたいそうです。公立図書館で紙芝居を使って日本語の読み聞かせをするなど、希望は膨らみます。また、日本に住んでいた時に習っていた華道、茶道、書道などの日本の古典的な習い事を再開したいそうです。日本語教師として日米の友好関係を築く最前線で活躍される竜沢先生。誠意と熱意溢れる授業で今後も多くの学生に影響を与えていくことでしょう。竜沢先生の更なるご活躍に期待しています。

 

 

 

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