TSUNAGU:つなぐー日米の架け橋として活躍する人物を探る
Activ8インタビュー・シリーズ
「TSUNAGU(つなぐ)とは“結ぶ”こと。働き手を探す人と仕事を探す人を結ぶ、異文化を結ぶ― かたちは違えど、私たちActiv8はより良き世界の実現のため「架け橋」となり日夜努力している方々に、心からの敬意を表します。Activ8の新しいシリーズ「TSUNAGU」は、ビジネス、教育、芸術、文化などを通じて日本とアメリカをつなぐ、インスピレーションあふれる人々を特集します。
第5回 Saku Yanagawaさん:スタンダップコメディアン
今回の「つなぐ人」は、シカゴをベースに活躍するスタンダップコメディアンのSaku Yanagawaさん。これまで10カ国以上で公演を果たし、シカゴでは「Laugh Factory」などの有名クラブを中心に年間450本のライブをこなすSakuさんにとって、コメディとは“分断を癒し人をつなぐ術”なのだそうです。彼自身がこの世界とつながったのも、7年前のある日のふとしたきっかけからでした。
野球がだめならコメディで“メジャー”をめざせ!
小さいころから野球一筋、プロ野球選手を目指していたというSakuさん。大学3年のときに怪我をして道が断たれ「じゃぁこれから何をすればいいんだろうか」と途方に暮れていたとき、ある転機が訪れました。「たまたま所(ジョージ)さんの『笑ってコラえて!』という番組を見ていたら、ニューヨークで活躍する日本人スタンダップコメディアンの特集をやっていたんです。それを見て『コレや!』と。翌日の授業をさぼって空港に向かい、すぐにニューヨークに飛びました (笑)」。
コメディ専用の16か所の劇場をアポなしで回り「皿洗いでも何でもするから舞台に立たせてくれ」と頼み込んで、ようやく2か所でオープンマイク(飛び入り)のチャンスをもらいネタを披露。「英語はポンコツでしたが、伝えようとするエネルギーは誰よりも強かったんでしょうね、まぁまぁウケたんです」。出演者のひとりだったシカゴのコメディアンから「明日シカゴのThe Second Cityでオープンマイクがあるから一緒に来ないか」と誘われ、翌日すぐにシカゴへ向かいました。「オープンマイクに出演して、シカゴという街とコメディシーンに一気に恋に落ちました」。
自分を突き動かした“点”は、のちに全て“線”でつながる。
野球からコメディアンへ。急展開ともいえる転身ですが、Sakuさんにとっては見えない糸でつながっていたのだそうです。「子どものころから映画や音楽が大好きでした。中高校時代はあまりにも野球の練習がきつくて、学校の図書館から映画やCDを片っ端から借りては家で現実逃避していました(笑)。特に好きだったのはシカゴを舞台とした映画『ブルース・ブラザーズ』。映像と音楽とコメディが自分の中で初めて重なりました」。
このときに熱中した映画や音楽が、のちに野球ができなくなって目標を見失ったときにヒントをくれたそうです。「だから今、映画の中のシカゴとつながって、彼らが立ったあの「The Second City」の舞台を自分が踏みしめられることに、ものすごく大きな意味を感じています」。
作家、演出家、俳優のすべてを一人で担う、スタンダップコメディの魅力。
関西出身でお笑い好き、特に舞台芸術に興味があったことから演劇批評を学ぼうと、演劇学・音楽学を学術的に学べる大阪大学に進学。3年生のときには『グローバルな視野に基づく舞台芸術の理解、および喜劇作品の制作、上演』という課外研究の企画を立ち上げ、大学から研究費をもらって“視察”という名目で日本とアメリカを行き来して舞台に立ちつつ自作のコメディも上演していたという“戦略家”。この研究は年間の最優秀研究賞を受賞、翌年に無事大学を卒業したSakuさんは、本格的にスタンダップコメディへの道を歩み始めます。
「スタンダップコメディのすごさは、自分で脚本を書き、演出し、主人公として演じるという、どれにおいても一流でなければ成功しないところ。この表現方法はまさに自分がやりたかったことだと確信したんです。しかも一人で全て責任を負うので、ウケたらお客さんのおかげ、スベったら全部僕のせい。そのわかりやすさも魅力でした」。
お客さんを船に乗せて、笑いの航海に繰り出す、僕は“船頭さん”。
とはいえ、言葉も文化も笑いのツボもまるで違う異国で、人を笑わせることを仕事にするには相当な根性が必要なはず。「日本と比べると、アメリカのコメディはよりお客さんとの“闘い”の要素が強いんです。まず用語ひとつをとってもなかなか過激です。例えば「オチ」は英語で“Punchline(パンチライン)”、「ウケる」は“Kill”、「スベる」は“Bomb”なんて言いますからね。「殴って、殺さないといけません」。スベると会場に爆弾を落として人々を不幸にしてしまう、それくらい緊張感があるものなんです。同じネタでも全てのお客さんに受けることはまずないし、国や州が違えば反応も全く違います。前にテキサスでネタをやったとき、客席からハイネケンの瓶が飛んできて後ろの壁で砕け散ったことがありました。『うわこれ、ブルース・ブラザーズやん』って(笑)」。
そんな熾烈なお客さんとの闘いに勝つための秘訣は?「舞台の僕は“船頭さん”なんです。お客さんとコネクトし一緒の船に早く乗せてあげる、そこから初めて“航海”が始まります。早く乗せるコツは、まず自分のエネルギーを強く持つこと。お客さんを信頼し、自分を解放すること。『自分はこれです』と自分の“視点”をさらけ出して、それを笑いにして届ける。一緒の船に乗ってさえいれば、多少揺れても(スベっても)連れていけますから」。
無知で舞台上がることは罪。勉強なくして舞台にあがる資格なし。
現在29歳のSakuさんが人生で誇りに思っていることは、いい作品を作り続けていることと、舞台に立ち続けてお客さんを笑わせていること。そのために欠かせないことは「まず勉強。毎日、新聞を8紙必ず読むことを自分に課しています。その時代に許されるギリギリのラインを笑いにしてついていくには、世の中に無知であってはいけないと思うんです。それと、できるだけ街に出て人としゃべるようにしています。バーでお酒を飲みながら隣の人相手にさりげなくネタを試したり(笑)。知識を詰め込むのではなく知恵を生み出す、つまり“ストリートスマート”になることが大事なんです」。
失敗を恐れない勇気と、ただでは転ばぬねばりも大切だとも。「10打数1安打でも、それがサヨナラヒットならヒーローになれる。そのヒットのためには練習しかないし、打席に立ったらバットを振るしかないんです。たとえ三振したとしても、見逃して終わるのかファウルでねばって何かをつかみとるかで次の打席が違ってくる。これは僕が野球で学んだことなんです」。
挫折は毎日やってくる。でも人や環境のせいにしない。
意外にも「毎日が挫折の連続」だというSakuさん。これまでに一番つらかったのは、ビザが下りなかったときだったそうです。アメリカでの活動に軸足を置くため「アーティストビザ」を取得すべく万全の準備をして申請したところ、結果は“却下”。「心がバキッと折れましたね。親交のあるデーブ・スペクターさんに傷心のメールを送ったんです。すぐに返事がきて『大丈夫。ビザがだめならマスターカード』(笑)。このジョークになんかすごく励まされました。あの言葉がなかったら今の僕はないと思っています」。
その後無事にビザを取得。「アメリカに来て特に僕が心掛けているのは、人に期待しないこと。うまくいかなかったとき、人や環境を恨むのが一番精神衛生上よくないんです。そのかわり自分には期待します。自分なら~できるだろう、できるはず、と。そうしたらできなかったとき悪いのは全部自分ですから」。
目指すは、日本人初の「SNL(サタデーナイトライブ)」レギュラー出演。
「まず3年以内に全世界動画配信サービスでスタンダップ・スペシャル番組に出る。そして35歳までにSNLに日本人初のレギュラー出演。それから8年後には武道館で観客1万人を入れたソロライブをやりたいですね」と、これからの目標を語るSakuさん。彼の胸にあるのは「スタンダップという芸能を日本で根付かせたい」という熱い思い。「スタンダップコメディは、自分と違う意見に笑える場所であり、対話のきっかけを作り分断をいやす芸。だからこそ若者を集めて、若い世代をつなげたいんです。若い力で新しいムーブメントとしてのスタンダップコメディを作りあげ、日本の歴史にうねりを起こしたいですね」。
これから新しいキャリアを目指している人へのメッセージ
「誠意で人を巻き込んで、好きなことを、好きなだけ、できるまでやれ。それでもだめなら逃げてもいい。そして逃げた先で一番を取れ!」これがSakuさんからのアドバイス。「好きなことをどうやって見つけるかのヒントは世の中にいくらでも転がっているし、何より“これまで歩んできた人生”が一番ヒントをくれるんじゃないかな」。
◆Saku Yanagawaプロフィール
アメリカ、シカゴを拠点に活動するスタンダップコメディアン。これまでヨーロッパ、アフリカなど10カ国以上で公演を行う。シアトルやボストン、ロサンゼルスのコメディ大会に出場し、日本人初の入賞を果たしたほか、全米でヘッドライナーとしてツアー公演。日本でもフジロックに出演。現地紙で「Rising Star of Comedy(コメディ界の新星)」と称される。
2021年Forbesアジアの選ぶ「世界を変える30歳以下の30人」に選出。
自著『Get Up Stand Up! たたかうために立ち上がれ!』(産業編集センター)が発売中。
公式サイト:sakuyanagawa.com