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「TSUNAGU(つなぐ)」とは“結ぶ”こと。働き手を探す人と仕事を探す人を結ぶ、異文化を結ぶ― かたちは違えど、私たちActiv8はより良き世界の実現のため「架け橋」となり日夜努力している方々に、心からの敬意を表します。Activ8の新しいシリーズ「TSUNAGU」は、ビジネス、教育、芸術、文化などを通じて日本と北米をつなぐ、インスピレーションあふれる人々を特集します。

第26回  片山理恵さん:フラメンコダンサー兼アートディレクター、プロジェクト企画管理・マネージャー

今回は、日系企業でプロジェクト企画管理マネージャーとして働く傍ら、フラメンコダンサー及びアートディレクターとして活躍される片山理恵さんを紹介します。理恵さんはエンジニアとして日本とアメリカでキャリアを重ねる一方、伝統芸術を支える幅広い活動に貢献してきました。中でもフラメンコは踊り手として、また教室を持つ先生及びアートディレクターとして、多くの人々の心に触れてきました。伝統を大切にする一方で、先駆者として果敢に挑戦し続ける理恵さんに、今日に至るまでのストーリーや今後の展望などを聞いてみました。

ダンサーを夢みる少女

栃木県足利市に生まれた理恵さん。幼い頃の記憶として鮮明に覚えているのが、あるバレエ教室の風景。理恵さんは幼稚園に通うよりも、繊維業を営む父親のお手伝いをしたり、車にちょこんと乗り込んで仕事に着いていく事が大好きでした。ある得意先の工場の横にはバレエ教室があり、窓から見えるレッスンの様子は幼い理恵さんの目にキラキラと眩しく映りました。「私も習いたい」と両親に懇願するも、仕事で忙しい両親はどうしても理恵さんにその機会を与えることができません。仕方がないので、小学校時代はもっぱら自宅で、当時流行っていたピンクレディーの真似をしてダンスの練習。中学生になると、映画「フラッシュダンス」の主人公に強烈な憧れを抱くようになります。この主人公はプロダンサーになる夢に向かって昼は製鉄所の溶接工、夜はクラブのダンサーとして働きながらダンスの練習に励む女性。バレエ教室に通わずともやがてダンサーの夢を勝ち取る主人公は理恵さんにとって眩しい存在であり「私もいつかこのヒロインになるんだ」と心に誓うのでした。高校時代は新体操部、そして大学では創作ダンス部に入りやっと少しずつ夢に近づけると思ったその頃、摂食障害に苦しむようになります。体力は激減し学校へ通うのもやっとの毎日に、泣く泣く退部を余儀なくされました。社会人になり体調も回復してきたころ、ちょうど自宅近くにフラメンコの教室がオープンしました。「しばらく踊っていないけど、フラメンコなら今からでもできるかな」と軽い気持ちで始めてみることに。しかし実際始めてみると基礎の動きすら難しく、先生の言うことがほとんどできないまま、駐在員として渡米する日を迎えました。

技術者としてのキャリア

理恵さんは日本の大手機械メーカーから技術者としてアメリカに赴任。その後、日本語の分かるエンジニアを探していた米系の自動車部品メーカーに転職を果たします。会社の中で、日本人は理恵さんただ一人。日本の取引先関連の業務を、理恵さんが一手に担うことになります。時差もあることから深夜まで続く残業も日常茶飯事で、日本に出張しメーカー各社を廻って新商品を売り込みに行くこともありました。理恵さんの努力とスキルは高く評価され、ビザだけでなく後にグリーンカードのサポートまで会社が引き受けてくれました。理恵さんは期待に応えて責任を全うすべく、20年間に渡り会社の発展に献身。昨年、縁あって日系の自動車部品メーカーに転職するに至りますが、プロジェクト企画管理部門のマネージャーとしての現職に、これまでの経験が全て役に立っているそうです。

伝統芸能を支える活動

理恵さんは仕事以外の活動の幅も広く、その活躍には目を見張るものがあります。2010年には「新シカゴ日米会」の当時の会長から直々に後継者になってほしいと依頼され、その後8年間、会長として活動をサポートします。「新シカゴ日米会」は日本の文化・音楽・芸術の継承や発展を目的として2018年まで活動を続けてきた団体で、理恵さんは事務作業からイベントの運営に至るまで膨大な業務に対応する日々が続いたそうです。

それだけでなく、理恵さん自身が日本の伝統を受け継ぐミュージシャンとして、シカゴ琴グループに所属。一般的に「お箏」と呼ばれる十三絃の箏をはじめ、絃が太く重低音が美しい十七絃箏が弾けるグループ内唯一の奏者として、長年に渡り様々な文化イベントで活動を盛り上げてきました。

そうして仕事や日本の伝統文化を支える諸活動に奔走する間も、フラメンコにかける情熱は失せるどころか増す一方で、熱心に練習を続けます。努力が実を結び、2015年にはフラメンコ教室「Flamenco Cerezo(桜)」を開設。フラメンコを習い始めてから15年目に迎えた喜びでした。元々は日本人を対象として日本語でフラメンコを教え始めた理恵さんですが、同じスタジオでフラメンコを教えていたアメリカ人の先生が遠方に引っ越す時に、その先生の生徒さんの指導もお願いされることに。こうして現在では、生徒数は30名ほどにのぼり、シカゴで個人で教えているフラメンコ教室の中では一番規模が大きいそうです。

理恵さんはフラメンコの根底に流れる精神について、こう説明してくれました。「フラメンコは“フラメンコ道“とも言われ、日本文化の「道」に通じる価値観があります。先生やミュージシャンに対するリスペクトを持ち、常に何事からも学ぼうとする謙虚な気持ちを大切にする。そういった精神性が日本人に共感しやすいのだと思います」。“日本は本場スペインに次ぐフラメンコ大国”という事実も頷けますね。

そして理恵さんにとって、お箏にしてもフラメンコにしても、そこに集中している時間は、まるで瞑想をしているかのように心身ともに浄化され、癒しの時間にもなっているそうです。これほど多岐にわたる活動を可能にしているのは、その癒しの効果かもしれませんね。

苦境を乗り越えて

こうして寸暇を惜しんで幅広い活動に邁進する理恵さん。そういう生活が何年も続いたある日、ショックな事実が判明します。手術を要する病気が見つかったのです。これまではどんなに疲れていても持ち前の気合いと根性で乗り切ってきたつもりでした。しかし“体は悲鳴を上げていたのだ”と思い知らされます。幸い早期発見で治療は順調に進んだものの、薬の影響でその後数年間は気分が落ち込むことが多かったそうです。それでも、どんなに疲れ落ち込んでいても、フラメンコの教室を閉じることはありませんでした。それを可能にしたのが、頑張っている生徒さん達の存在でした。これまで理恵さん自身、フラメンコ教室に行くとエネルギーを頂いてどんな時でも元気になれたそうです。「私も、生徒さんに良いエネルギーをチャージしたい。だから弱音を吐かずに彼女達のために頑張ろうと思えました。教えているけど、逆に生徒さん達に育ててもらっています」と微笑みます。そして「私も踊りたい」「あの先生から習いたい」と思ってもらえるように、食事や練習、トレーニングなど生活スタイルにも気を配る日々だそうです。

驚くことに、「ダンスを教えることと、習うことは正反対」だそうで、教える側は常に孤独との戦いだそうです。ダンスを習う時には励まし合いながら同じ目標に向かう仲間がいる。しかし、教える側は一人で創作活動に膨大な時間と労力を費やします。曲を選び、生徒さんのレベルに合う振り付けを考え、クラスの運営や生徒さんの発表会の手配も一人で行う・・・5分の踊りを作るのに100回以上、試行錯誤することもあるとのこと。華やかな踊りの裏にはそれを生み出す苦労があり、パフォーマンスは血と汗の結晶なのだと思わされます。それゆえ、気持ちのコントロールが一層大切だそうです。

フラメンコの魅力と踊る喜び

フラメンコは2010年にユネスコの世界無形文化遺産に登録されたスペインの民俗芸能ですが、その歴史は意外にも浅く200年ほどだそうです。フラメンコの発祥については諸説があるようで、有力な説としては、インド・パキスタンの遊牧民が暖かい気候を求めて南スペインに移動する途中で、旅の疲れや寂しさを歌や踊りで癒したことが起源だとのこと。彼らは行く先々で迫害され孤立した存在となり、その嘆きや悲しみ、苦しみや怒りも歌に込め表現するようになります。時を経て、中東など幾つもの文化が融合してフラメンコが発展してきたそうです。フラメンコには複数の表現スタイルがあり、明るく陽気な曲調の時もあれば、孤独や悲哀を表現する時もあり、それぞれ動きや表情、装飾が異なり、その違いを楽しむことも魅力の一つと言えます。

ある野外イベントにソロで出演した理恵さん。そのステージは、畳一畳ほどの板を置いただけの非常にシンプルものでした。理恵さんが静かにその上に立ち、パフォーマンスが始まるや否や、不思議にもその空間が、急激に変容を遂げていきます。それはまるで小柄な理恵さんから溢れ放たれるエネルギーがオーラのように空間を創りあげ、そこに理恵さんの生き様や強さ、人生の苦悩や喜びが投影されているかのようでした。観客の一人として、時間を忘れてすっかりその世界に魅了され、魂を揺さぶられる思いでした。

理恵さんは「フラメンコは“空間”と“アート”を作る芸術であり、“Duendo(ドゥエンド)”が大切です」と言います。「Duendo」とは、“体の中に自分が居なくて神が降りてきているような、陶酔する感じ”という意味だそうです。観客はパフォーマーが創るその神秘的な空間にいざなわれ、共に陶酔感を味わえるのでしょう。驚くことに、フラメンコのライブパフォーマンスは、踊り手とミュージシャンとが練習に練習を重ねて・・・というものではなく、ジャズの即興演奏のようにほぼ「ぶっつけ本番」で合わせるそうです。それゆえ踊り手とミュージシャンとの“阿吽の呼吸”が大切で、そこに観客も一体となり一期一会の瞬間を楽しめるのがフラメンコの醍醐味と言えましょう。

今後のビジョン 〜自分の枠を超えて

フラメンコのダンサーとして、そして先生でありアートディレクターとして、フラメンコの世界でも着々と成果を収めてきた理恵さん。それでも自分がスペイン人でないことに、どこか引け目を感じていたといいます。しかしそんな理恵さんに、天地がひっくり返るほどの大きな衝撃を与えるニュースが舞い込みました。それは、スペインで行われた歴史ある国際コンクールのフラメンコ舞踊部門で日本人女性が優勝したとの知らせでした。「まさか外国人である日本人が優勝できるとは思わなかった」という理恵さん。「私はスペイン人ではないから本場の人には叶わないと思い込んでいた。でもその壁を作っていたのは自分だったんだ」と痛感。「自分の一番の敵は自分だ。まずは壁を取り払おう」と心に誓い、来年のコンペティションを目指すことを決意するのでした。

そして来年には、もう一つの新たな挑戦が控えています。ジョージア在住のピアニストの女性が企画した「スペインの作曲家」をテーマとしたリサイタルに、理恵さんは踊り手として参加することに。その女性がカスタネットを演奏、スペイン在住のギタリストも加わり、イタリア、ジョージア、スペイン、アメリカ、日本など世界各地を巡る予定です。

自身の活躍が世界に広がる一方で、理恵さんは生徒さん達にもステージに立つ機会を与えたいと考えています。潤沢な資金源のある大きなダンス教室は大規模なリサイタルを開くことができますが、個人の教室の生徒さんはシアターに立つチャンスがなかなか得られない現状があります。理恵さんは、シカゴに幾つかある個人教室の先生方に声をかけて、合同でシアターを借りて大きなリサイタルやフェスティバルを開催したいと考えています。それが、生徒さんの喜びに、また励みになると信じ、少しずつその実現に向けて動き出しているそうです。

また理恵さんは、故郷足利市にも目を向けています。足利市は繊維産地として大きく繁栄しましたが、その後国内繊維業の空洞化とともに衰退の一途を辿り、もはや産地としての存在すら危ぶまれている現状があります。その中でも、細々と続けている織物や染め物の職人がいます。理恵さんは、匠の技の継承、そして工場の存続を助けるためにも、“日本の美”として誇れる彼らの作品をシカゴで紹介する場を作りたいと考えています。

「やりたいことはたくさんあります」と目を輝かせて語る理恵さん。どこからそのエネルギーが湧いてくるのかを伺うと、「母親譲りかもしれません。母は来年88歳になりますが、陶芸の展覧会を開いたり、特許取得に向けて精力的に動いているのですよ」と誇らしそうに話してくれました。そして理恵さんに流れる「みんなの笑顔が見たい」という強い気持ちが全ての原動力になっているそうです。

キャリアアドバイス

これからキャリアを積む人たちへのアドバイスを聞くと「失敗を恐れずに挑戦すること」との答えが返ってきました。「私自身、ある時から『失敗しても恥ずかしいと思わないようにしよう』と決めました。私がフラメンココンペティションに挑戦することを笑う人もいるかもしれない。でも、それを気にしていたら自分に壁を作ることになる。チャレンジすることはプラスでしかなく、失うものは何も無いはずです」。また、落ち込んでいる時は「気持ちの切り替え」が大事だと語ります。「泣きたい時は思いっきり泣いても良い。でも悩んだり落ち込んだりするだけでは時間がもったいない。だから『今出来ることをやろう』と気持ちを切り替えていくことが大切です」と教えてくれました。

最後に「夢は諦めてはいけない。信じて努力を重ねていけばいつかは叶うはずです」と励ましの言葉をくれました。それは、理恵さんが半生をかけて証明してきたことでもあります。理恵さんはこんなエピソードを語ってくれました。「数年前、職場で油まみれになりながらマシンと格闘している時、周囲は私に同情しました。それもそのはず、私は職場の上司とウマがあわなくて、事実上左遷になったようなものだったからです。初めはひどく落ち込みましたが、ある時『昼間は工場で働き、夜はダンスの仕事がある。私、フラッシュダンスのヒロインになれたんだ』と思ったら、一気に気持ちが晴れやかになりました。」

自身の壁を超え、日本とアメリカ、そして世界を舞台に果敢にも挑戦を続ける理恵さん。今後の活躍を応援いたします。

 

関連サイト

https://www.flamencocerezo.org/

今後のイベント

 

 

 

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