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TSUNAGU:つなぐー日米の架け橋として活躍する人物を探る
Activ8インタビュー・シリーズ

「TSUNAGU(つなぐ)とは“結ぶ”こと。働き手を探す人と仕事を探す人を結ぶ、異文化を結ぶ― かたちは違えど、私たちActiv8はより良き世界の実現のため「架け橋」となり日夜努力している方々に、心からの敬意を表します。Activ8の新しいシリーズ「TSUNAGU」は、ビジネス、教育、芸術、文化などを通じて日本と北米をつなぐ、インスピレーションあふれる人々を特集します。

第13回 河野洋 (Hiroshi Kono)氏:Mar Creation, Inc代表、ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト創立者、NY愛知県人会代表

今回の「つなぐ人」は、ニューヨークでイベントプロデュースの会社を営む河野洋さん。1992年に渡米して以来、イベントプロデュースやアーティストのマネジメント数多く手がけ、また日本映画祭「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」の立ち上げに尽力するなどマルチな活躍を続けています。そのアクティブな人生の始まりは、「ロック」!

ロック少年が抱いた海外への夢

河野さんが最初に海外への憧れを抱いたのは、12歳の時。「ディープ・パープルの『Smoke On The Water』を聞いて衝撃を受け受けたのがすべての始まりでした。その後ギターを買ってもってからは、ロック・ギタリストを目指してまっしぐら。ロックを追いかけイギリスへ行くことを目標に、資金稼ぎのためにアルバイトに明け暮れた10代でした。

1989年、やっと夢を叶えるべくイギリスへ飛び立った河野さん。しかし「入管で不法滞在を疑われて」あえなく空港からそのまま帰国するはめに。「盛大に送り出してもらったのにもう恥ずかしくて。しばらく家にも帰れませんでした(笑)」それから2週間ほどして世界周遊チケットを買い、向かったのはアメリカ。「サンフランシスコのイミグレーションで『Welcome to America!』と迎え入れられたとき、アメリカってなんて懐の大きな国なんだ!と感動したのを覚えています」。

3週間かけてグレイハウンドでアメリカ各地を巡り、最後はニューヨークへ。その後ヨーロッパの国々を歴訪していたその間も、アメリカの旅で感じた衝撃がずっと忘れられなかったといいます。「人々の寛大さ、アメリカという国のスケールの大きさに圧倒されたんです。絶対またニューヨークに戻ってくるんだ、と心に誓っていました」。

「25歳で海外に住もう」と決めていた

日本に戻りバンド活動を再開していた彼に、あるとき運命の転機が訪れます。出演していた名古屋のライブハウスで知り合ったニューヨーク出身のアメリカ人女性と恋に落ち、4か月後に結婚。7月には永住権を獲得してアメリカへ。「25歳で海外に住む」ことを目標にしていた河野さんが24歳で手繰り寄せた赤い糸は、あの時誓ったアメリカへとつながっていたのです。

自分で全てコントロールできなきゃだめだ

NYで腰を落ち着け、様々なオーディションを受けてバンド活動を再開したものの、リーダーの一存で解散せざるを得なくなる不安定さに疑問を感じ、これからは全部自分でやっていかなければとの思いを抱くようになりました。そこで、コンピュータやクラシックギターを習い、フルタイムで働きながら一念発起してレコード会社を起業。「いいものを作れば売れるだろうと単純に考えていた自分が甘かった(笑)。ビジネスやマネジメントの知識もなく起業したものですからノウハウもなく、全然売れませんでしたね」そこで新たな収入の道として、ライブイベントやコンベンションなどのイベントコーディネイトへと仕事の幅を広げていきました。

「愛知県人会」でつながった縁と人脈

自らビジネスを立ち上げた河野さんがさらに人脈を広げるきっかけになったのが、「NY愛知県人会」の存在でした。2005年から運営委員となり「メーリングリストやプレスリリースの作成、新年会や花見会の企画・運営など様々な業務を任されました。県人会では年齢や役職に関係なくメンバーの方々とつながれるので、一気に人脈が広がりました」2015年に代表になってからは、他州の県人会とも精力的につながったほか、日本やアルゼンチンなどともつないだ「県人会サミット」も開催、世界に人脈を広げていきました。

全米に広がった「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」

現在の河野さんのキャリアの約40パーセントを占めるのが、映画祭プロデュ-サーしての仕事。2012年に河野さんが発起人となり立ち上げた、インディペンデント日本短編映画に特化した映画祭「ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト」が、映画の世界に大きく舵を切るきっかけとなりました。「前年の東日本大震災を受け、「海外から日本を応援しよう」というスローガンのもと仲間の映画監督とこの映画祭を立ち上げました。優れたインディーズの短編映画7作品を上映しましたが、ソールドアウトとなりました」この映画祭は2015年から日本の映画祭とコラボを開始、ボストン、ヒューストン、ワシントンDCなどを回る「巡業型映画祭」として続いています。さらにパンデミックの最中の2021年 5月には、シカゴで中西部初となる日本映画祭「シカゴ日本映画コレクティブ」をオンラインで開催し、大成功を収めました。

人をつなげることは、感動の∞(インフィニティ)を広げること

イベントコーディネーター、映画祭興行主、音楽プロデューサーに加え、日系新聞での音楽記事執筆を10年以上続けるなどマルチに活動する河野さんのバイタリティの源は、「僕は人が好きなんです。人をつなげることが好き、だからイベントが好きなんです。人は何かいいコンテンツに出会い感動するとそれを人と共有しようとし、受け取った人から感謝される。受け手がその感謝をまた別の人につなげていくことで、“感動の輪”が広がっていくと思うんです」人とつながることで生まれる感動を知っているからこそ、今日は誰に会えるんだろうと毎日ワクワクする、と河野さん。
人の輪をうまく広げつなげていくために普段心掛けていることは「人の話をよく聞くこと」ときっぱり。「なぜならそこには必ず学びや発見があるから。自分のことを言っているうちは学びがありません。反対意見をいったん取り入れる寛容さ、流れに逆らわない柔軟性が大切だと思います」。

これから新しいキャリアを目指している方へ

「まず、外に出ていくこと。部屋の中にいても何も始まりません。好奇心をもち、常に外で起こっている変化に疑問を持つことです。すべてのことには理由があるから。そして、とにかくやってみること。今やっていることがあれば、それを継続してやり続けること、発信し続けることです」。

止まらない好奇心。これまでも、そしてこれからも

河野さんは離婚、再婚などといろいろな人生経験をしたが、今後もっと活動の場をを拡大したいそうです。「現在、京都のある書家のプロジェクトを追ったドキュメンタリー映画の製作を始めたところです。ある画家とのアートコラボがきっかけで昨年から詩を書き始めたんですよ。そのコラボの個展を近々日本でやる予定です(本年9月に出雲市と名古屋市で開催)」。これからやってみたいことは「アメリカでロックミュージック・フェスを企画してみたいし、ミュージシャンのアメリカツアーもコーディネイトしてみたいですね」と、好奇心はとどまるところを知らない。「お金(が目的)で動く人は、お金がなくなったら停止してしまうけど、好奇心は止められませんから(笑)」。好きな言葉は、尊敬するブルース・リーの言葉「水になれ!」「自分の置かれた環境や器の中で流れに逆らわず自由形を変えていく。そんな人間でありたいんです」。

◆河野洋さんプロフィール

名古屋市出身、イベントプロデューサー、コーディネイター、通訳。1992年渡米、2003年にMar Creation, Inc.を設立し、2008年からライブ・イベントの企画、運営、コーディネイト、アーティスト、ビジネス・マネジメントを行う。

501(C)(3)法人 CATCH US PERFORMING ARTS (CUPA)副代表理事(2018年〜)、 ニューヨーク・ジャパン・シネフェスト共同設立者(2012年〜)、シカゴ日本映画コレクティブ共同設立者(2021年〜)、NY愛知県人会代表(2015年〜)、ピラミッド・テラーズ・レコード社専属プロデューサー(2020年)、ニューヨーク州ハリソン「ザ・祭り」実行委員(2017年〜2019年)、ニッポン・アメリカ・ディスカバリー映画祭 共同創設者(2018年)、門真国際映画祭 顧問(2018年〜)、ボストン日本映画祭 クリエイティブディレクター(2021年〜)、ブルックリンSciFi映画祭 アウトリーチ・ディレクター(2021年〜)、審査員(2020年)、東京神田神保町映画祭 審査員(2021年〜SciFi部門) も務め、チャリティ・イベント、平和、社会、環境などをテーマにしたプロジェクトにも取組んでいる。2012年以降、音楽、映画、インタビュー記事、エッセーなどを執筆、2021年夏からは詩を書き始め、アートユニット AYA-MARC.で活動中。2022年9月には初の個展を開催。

Mar Creation, Inc.(マークリエーション)
www.marcreation.com

 

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