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TSUNAGU:つなぐー日米の架け橋として活躍する人物を探る
Activ8インタビュー・シリーズ

「TSUNAGU(つなぐ)とは“結ぶ”こと。働き手を探す人と仕事を探す人を結ぶ、異文化を結ぶ― かたちは違えど、私たちActiv8はより良き世界の実現のため「架け橋」となり日夜努力している方々に、心からの敬意を表します。Activ8の新しいシリーズ「TSUNAGU」は、ビジネス、教育、芸術、文化などを通じて日本と北米をつなぐ、インスピレーションあふれる人々を特集します。

第14回 高成田 純 (Jun Takanarita)氏:バー/レストラン経営者 (Murasaki Sake Lounge、Summertime Jazz Cafe/Lounge、Karaoke Lounge Nina)、ドラマー、和太鼓奏者(司太鼓)

今回の「つなぐ人」は、シカゴ近郊で3軒のバーを経営する高成田純さん。アメリカにわたって20年。常に自分の居るべき場所を冷静に見極めながら、バー・オーナー、和太鼓奏者、バンドマンという3足の草鞋を絶妙なバランスでこなし、しなやかに生きていく高成田さん。その原動力は「諦めの悪さ」でした。

ロックバンドから、ジャズドラムの道へ

小さいころからクラシックピアノに精通し、高校時代はロックバンドのドラマーだった高成田さん(以下、純さん)。卒業後の進路は高校2年生の時にすでに決めていたそうです。「日本の大学へは行きたくありませんでした。かといって音楽一本でやっていけるとも思っていなかった」。そこで、アメリカの大学への音楽留学の道一本に絞り準備を開始し、“英語が大の苦手科目だった”19歳の純さんは、最初の大きな決断で意気揚々と海を渡ったのです。何校か体験入学をした際に街の環境もキャンパスの雰囲気も気に入ったシカゴのルーズベルト大学・シカゴ芸術舞台大学のジャズドラム専攻課程に進むことになりました。特にジャズが好きだったわけではなく、ドラマーとして勉強になると思ったのがジャズ科を選んだ理由だったそうです。同大学ではパットメセニーグループというバンドで活躍されていたポール・ワーティコ氏に学びました。

似て非なるもの~ドラムでつながった和太鼓への道

大学在学中は、他大学の学生と結成した実験音楽バンドのライブ活動や、バーテンダーのアルバイトにいそしんでいたという純さん。ちょうどその頃、共通の知人を通じてシカゴの日本人ベーシスト、タツ青木氏と出会いました。中西部で最大の和太鼓道場『司太鼓』の代表で、音楽家、教育者、実験映画作家、伝統芸能継承者としても第一線で活躍するタツ氏は、純さんのドラマーとしての才能を見出し「まだ経験の浅い学生の僕に、(タツさんが率いる)『MIYUMI プロジェクト』のドラマーとして、シカゴ・ジャズ・フェスティバルの大舞台に立たせてくれました」。タツさんに誘われるまま2010年に『司太鼓』に加入した彼は、一から和太鼓を学び始めます。

「タツさんからは『ドラムを忘れろ』と言われました。ドラム経験者はどうしてもビートやリズムを刻もうとしてしまいがちですが、和太鼓はドラムと全く違う打楽器。僕は別の楽器と考えて演奏しています」と純さん。楽譜はなく、全て口唱歌(くちしょうが)で覚えるのも和太鼓の大きな特徴で、「和太鼓は剣道の“型”のようなものだと思っています。バチの持ち方や重心の置き方、姿勢、所作、マナーや精神的な部分、体の流れで覚えるところなどがとても良く似ているんです。ある意味これがよかったのかもしれません」。

和太鼓を始めてからわずか数か月で『司太鼓』の即戦力としてパフォーマンスの機会を得た純さんは、Lollapaloozaなど数々のフェスティバルやシカゴ現代美術館ホールで行われる年末恒例の「太鼓レガシー・コンサート」にも出演、また2017年には第二次大戦中の日系アメリカ人強制収容に関するドキュメンタリー『And Then They Came for Us』のサウンドトラックアルバムにもドラマーとして参加を果たすなど、音楽家としてのキャリアを着実に築いていきました。タツさんとの運命的な出会いが和太鼓との出会いで、アメリカでの新たなキャリアにつながっていったのです。「タツさんからは太鼓だけでなく生きていくうえで大切なことをたくさん学んでいます。これからもずっと一緒にやっていきたいと思える方です」。

シカゴで唯一無二の“日本のバー”を。

実は、そんな純さんのもうひとつのキャリアが、バーの経営者。シカゴでは知る人ぞ知る酒ラウンジ『紫』で学生時代から10年以上バーテンダーとして働いていた経験から、2014年に前オーナーのリタイアにともなってこの店を引き継ぎました。「まずは経営の立て直し策として、価値のわかる人がいいお酒を楽しめる店への転換を図りました。客足が落ち込み気味だった週末には人気のDJを入れた“DJナイト”を開催し、これが若者層にヒットしました。その後“City Pop(70~80年代の日本の流行ポップス)路線”を前面に打ち出したところ“City Popの似合う日本のバー”として認知され、他州からもこれを目当てにお客さんが来てくれるようになりました」。純さんの戦略が功を奏し『紫』はシカゴで唯一無二の“日本のバー”としての地位を確立したのです。

音楽も酒も。日本の文化を全てひっくるめてつなげる。

音楽でアメリカに渡った純さんが、バーの経営者として成功に至ったことは、人生何が起こるかわからないものであることの証です。「僕はむしろ、飲食の経営を始めてからその面白さをたくさん見つけて好きになったんです。日本の酒蔵を尋ねてアメリカでの日本酒の可能性を語ったり、シカゴでCity Popを広めるためのイベントを日本酒をからめて企画したり。DJとテイスティングとを組み合わせたイベントや、パンデミック中はオンラインで日本の酒蔵とをつなぐライブイベントなどもやりました。日本の文化を全てひっくるめてつなげる楽しさが、この仕事にはあるんです」。

成功の秘訣は、諦めないこと。好きでいること。

それまで経営の経験がなかった純さんが、競争の激しい飲食業界で生き延びるための秘訣は?「諦めないこと。やれることはなんでもやってみることです。飲食業は人が相手なので、こうあるべきだ、があてはまるはずがないんです。ビジネスの知識だけで(数字で)線を引いてしまうと、そこでおしまい。飲食業はそこじゃない、もっと精神論的なことかもしれません(笑)」。純さんはこの“精神論”を、前オーナーをはじめ、他の経営者、お客様や従業員の反応など、周りの方々を観察して会得したそうです。この“諦めの悪さ”と“時代を読む観察眼”が、『紫』をオンリーワンの酒ラウンジにし、2019年にはジャズ・ラウンジ『Summertime Jazz Café』を、さらに2022年には『Karaoke House Nina』の経営権を取得する力になったのです。

アメリカと日本をつなぐために守っていることは?

「ウソを教えちゃいけない、ということ。日本が好きで来てくださるお客様にきちんと説明できるよう、従業員ともお酒やニュースなど正しい知識や情報を共有するようにしています。そして常に最新の情報にアップデートしておくこと。また、お酒の注ぎ方ひとつでも正しい日本的マナーにも気を付けています。店の人間がただ黙々とサービスするのではなく、一人で来られたお客様とも気楽に会話を楽しめる“リアルな日本がわかる日本のバー”でありたいですね」。

これまでに経験した挫折と復活

何もかも順調のように見える純さんですが、大学3年生のときに大きな“挫折”も経験しました。学校が面白くなくなって、自分はこのままだらだら音楽を続けていくのかと将来のビジョンについて深く悩み、とりあえず頭を冷やそうと半年間日本に一時帰国し、陶芸家の叔父の窯場で山籠もりをしたそうです。そんな時にちょうど出会ったのが、師と仰ぐタツ青木氏です。「まだまだ未熟だった僕にいろいろと経験させてくれました。そのおかげで音楽を続けたいと思えたのです」。

これからの目標について

純さんの当面の目標は、2022年に取得した(シカゴ郊外の店)『Karaoke House Nina』を軌道に乗せること。「買い取ったときはパンデミックで大変な時期でしたが、まずはレストランとして収益を安定させることです」。さらには、自身がドラマーとして参加して数年前から活動を広げている4人編成のロックバンド『Maxwell-Thomas』を、「ちゃんと売り上げのあがるバンドにしてみたい」という大きな目標も掲げて挑戦し続けています。「まさか、この年になってまたロックバンドをやるとは思ってもみなかったですが(笑)、折角いいバンドを組めたので戦略的に売れるバンドにしきたいですね」。

これから新しいキャリアを目指している方へのアドバイス

「どんなことにも道がある。諦めずにチャレンジしたら、必ず何かやれるはずです。ここでダメと思ったらその時点で終わり。世の中は広いし絶対何かできることはある。それを見つけたら迷わず躊躇せずにやってみることです」。

Murasaki Sake Lounge (Chicago, IL)

Summertime Japanese Restaurant/Bar (Mt. Prospect, IL)

Karaoke Lounge Nina (1136 S Elmhurst Rd, Mount Prospect IL 60056)

 

 

 

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