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TSUNAGU:つなぐー日米の架け橋として活躍する人物を探る
Activ8インタビュー・シリーズ

「TSUNAGU(つなぐ)とは“結ぶ”こと。働き手を探す人と仕事を探す人を結ぶ、異文化を結ぶ― かたちは違えど、私たちActiv8はより良き世界の実現のため「架け橋」となり日夜努力している方々に、心からの敬意を表します。Activ8の新しいシリーズ「TSUNAGU」は、ビジネス、教育、芸術、文化などを通じて日本と北米をつなぐ、インスピレーションあふれる人々を特集します。

第15回 ルーシー・セリグマンさん (Lucy Seligman): 料理本作家(『The Wonderful World of Osechi』、『Easy Japanese Recipes for the Home Cook』)、料理ブロガー、レストラン評論家、食文化研究家、Lucy’s Kitchen Cooking School経営者、禅コーチ

ルーシー・セリグマンさんは、 その“料理愛”から日本と深くつながってきました。そして「いかに料理が文化をつなぐ架け橋となりうるか」というテーマで文筆活動を続けています。日本料理に関する2冊の著作のほか、自身の料理ブログ「Thanks for the Meal」を通じて知識を広めてきました。ルーシーさんがこれまで多くの成功を成し遂げてきた要因は、彼女の人生目標と日本文化への愛との間でおこる出来事を“解決する”と同時に“つなぐ”役割であることを貫いてきた姿勢にありました。

ハリウッド生活から日本文化へ

ロサンゼルスの大家族の中で育ったルーシーさんは、幼い頃から旅行に親しんできました。15歳のとき、ルーシーさんは“海外生活実験”という交換留学プログラムに参加したいと母親に思いきって打ち明けました。当初はスカンジナビアのどこか辺鄙な島で美術を学ぶつもりでしたが、安全上の問題から留学は認められませんでした。海の近くは安全だと信じてきたルーシーさんにとっては、とてもショックな出来事でした。「ロサンゼルス育ちの私は、歩くより先に泳いでいました。家にはプールもあったんですよ」。

新しい行き先を決めなければならならなくなった彼女は、あるきっかけから日本を選択することになりました。家族のつても日本文化の知識もありませんでしたが、彼女の母親は喜んで彼女を行かせてくれたといいます。飛行機から降り立ち、蒸し暑い東京の空気に包まれたその瞬間、ルーシーさんはたちまち日本の魅力に心を奪われました。

大学では日本語を専攻し、3年生の時に早稲田大学に入学するため上京、日本人のホストファミリーのもとで新生活を始めました。青春時代を日本で過ごした経験はその後、幼い頃から抱いていたルーシーさんの料理への情熱を育む長い道のりのきっかけになりました。

食 :異文化とつながる方法

ルーシーさんの食への愛は、レシピ日記を書いた10歳のときにさかのぼります。日本で地元の食材に囲まれた彼女は、すぐさま執筆家としてのキャリアをスタートさせました。日本食に関する多様な出版物に寄稿し、日本語で「食事をありがとうございます」という意味の「Gochisousama(ごちそうさま)」というニュースレターを始めました。

アメリカに戻ったルーシーさんは、「Thanks for the Meal」という個人料理ブログを開設し、さまざまな日本料理のレシピ紹介や読者交流を始めました。ブログの読者の多くは日本料理の経験があまりなかったことから、世界中の誰もが日本料理を楽しめるようにと、彼女は『Easy Japanese Recipes for the Home Cook』という本を書くことを思いつきました。

日本のおせち料理にも興味を抱いたルーシーさんは、「The Wonderful World of Osechi (素晴らしきおせちの世界)」という本も出版しました。しかし、食への興味は、そこだけにとどまりません。日本で「ルーシーズキッチン」という料理教室を開き、外国人に日本料理を、日本人に外国料理を教えるようになりました。日本語で教えられるようになったことで、彼女は知識を人々と共有できただけでなく、食文化史家としても成長することができたのです。

旅の先々で彼女は必ず、地元のマーケットに顔を出します。人々がそこで何を買い求め、家でどんな料理を作っているのかをじっくり観察するのです。「食とはつながること」とルーシーさんは言います。「私にとって、食は人生においてのつながりであるだけでなく、文化とのつながりでもあるのです」。

日米を結ぶ架け橋に 

若い頃から旅を重ねてきたことで、ルーシーさんは世界を探検することができ、国際的なコミュニケーションの重要性を学ぶことができました。「旅行や食事、コミュニケーションを通して異文化を理解すれば、国際的な視野が一層広がると思います。それが、私がこれまでに育んできたつながり方なのです。

日本に滞在していた一時期、ルーシーさんは三井家のホストファミリーとして迎えられたことがありました。19番目の“外国人の娘”として家族の一員になった彼女は、数年後に家主が亡くなるまで三井家と大切なつながりを保ち続けました。高校生の時に帰国したルーシーさんは、老人ホームでボランティアをしながら、日本語を話す高齢者の方々と会話をしていたそうです。

ルーシーさんは友人や家族の日本行の旅行計画を手伝うのが好きで、彼女のお気に入りの場所や食事スポットを嬉々として教えているといいます。様々な方法で、彼女は自分の体験と日本への愛を通じて日本とのつながりを築いてきましたが、これからも食への情熱を通してその知識を共有し伝えていきたいそうです。

当然ながら、彼女の娘も日本に夢中!食べ物だけでなく、日本のデザイン、言語、アニメや漫画、そしてファッションにも夢中だそうです。彼女はルーシーさんに京都と東京のスタイルの違いを紹介するなど、今では2人は日本と強い絆で結ばれているのです。

一周回って感謝をする

ルーシーさんの人生は、アメリカと日本をつなぐ楽しくも面白い体験にあふれていました。時には、物事が輪をぐるぐると描いているかのようでした。LA育ちのルーシーさんは、テレビ・映画プロデューサーだった父親の影響でハリウッド文化にどっぷりと浸かって育ちました。

その後、ルーシーさんは日本の有名なドキュメンタリー映画監督と結婚、彼のプロダクション・マネージャーとして日本国外のプロジェクトにも携わりました。しかし彼女は、自身がなしえた成功はこれまで支えてくれた母親のおかげだと感謝しているそうです。ルーシーさんがまだ15歳の頃から彼女に世界を見ることを勧め、故郷から遠く離れた外国で暮らす娘を見守ってきたからです。母親はいつも、ルーシーさんがやっていることに興味を抱き、日本で暮らすルーシーさんを訪ねることが大好きでした。ルーシーさんも長年、食を通じた日本とのつながりを母親と共有してきたのです。「母がいなかったら、私は日本に行かなかったかもしれません!」。

これまでの挫折とこれからの目標

自身を“問題解決型”と評しているルーシーさんは、これまで人生の幾多の難局を、日本文化に深くかかわりたいという情熱によって乗り越えてきたといいます。幼い頃に父親を亡くし、弟を、そして母親を亡くした悲しみを乗り越え、困難をチャレンジと捉えながら「私はここから何を学んだのだろう?どうすれば前に進めるのだろう?そしてこのことが私に何を教えてくれたのだろう?」と常に考えてきました。 この彼女の強さこそが、今日の彼女の成功、さらには新たな挑戦へと向かう方法を作り上げていったといえます。

彼女は将来再び日本に戻って、今度はもっと長期にわたって滞在したいと望んでいます。マーケットを訪ね、食事を作り、大切な友人に会うことを夢見ているそうです。パンデミックの間、彼女は人と会えないひとり時間を使って日本語を勉強し、以前のように頻繁に日本語を使えるようになりたいと希望をふくらませていたそうです。

新しいキャリアをスタートさせる人へのアドバイス

「外国に旅行しようと考えている人、留学を考えている人、日本語など他言語を専攻しようとしている人へ・・ぜひやってみてください。まずは実験的にやってみる、経験してみる、そして本当にやってみる。また、できうる限り多くの国で生活してみてください。異文化、異国で生活し、現地の人々の生き方に学ぶことほど素晴らしい人生経験はありませんから」。

ルーシーさんはみなさんに“探検すること”を勧めます。というのも、彼女自身が探検によって情熱に満ちたキャリアを手に入れたおかげだからです。どんなに目標が遠くても、あと一歩何か新しいことに踏み出すことが、あなたの人生を永遠に変えることになるのです。

Thanks for the Mealブログ: www.thanksforthemeal.net

 

 

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