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「TSUNAGU(つなぐ)」とは“結ぶ”こと。働き手を探す人と仕事を探す人を結ぶ、異文化を結ぶ― かたちは違えど、私たちActiv8はより良き世界の実現のため「架け橋」となり日夜努力している方々に、心からの敬意を表します。Activ8の新しいシリーズ「TSUNAGU」は、ビジネス、教育、芸術、文化などを通じて日本と北米をつなぐ、インスピレーションあふれる人々を特集します。

第20回 ポール・ヴォラントさん(53歳):お好み焼きアンバサダー、ミシュラン星付きレストランのオーナー/シェフ

今回は「お好み焼きアンバサダー」を称するシカゴのレストラン・オーナー/シェフ、ポール・ヴォラントさん(53歳)を紹介します。中西部の農家出身のポールさんはニューヨークやシカゴの伝説的なシェフたちの下で修業し、ミシュランの星付きレストランなど3店を経営する著名シェフです。2019年に大阪名物のお好み焼き専門店「外人(ガイジン)」をオープンし、米国にお好み焼きブームを起こそうと様々な取り組みに挑んでいます。シェフ、そしてビジネスマンとして成功するまでの道のりとその秘訣を聞きました。

農家で育った子供時代、レストランとの出会いは高校時代

ポールさんは米中西部のミズーリ州セントルイスの郊外にある農家で育ちました。株ブローカーだった父は「ちょっとヒッピーっぽい人」。ミズーリ川のほとりに買った7エーカーの農地で馬や鶏などを飼い、子供たちは豊かな自然に囲まれて育ちました。専業主婦だった母や祖父母は新鮮な肉や野菜、牛乳などを使ったヨーロッパ風の料理が得意で、子供の時から季節の食材を生かした料理、そしてピクルスやジャムなど手作りの保存食を食べて育ったことはとても幸運だったと思っています。

子供の頃は「トラブルメーカー」。もっぱらサッカーばかりしていて勉強はあまり得意ではなかったそうです。レストランとの出会いは高校時代にやってきました。フレンチレストランでアルバイトをした時にシェフや従業員たちと気が合って仲良くなり、料理とレストランの世界が好きになったのです。高校を卒業しても将来何をしたいのかよくわかりませんでしたが、レストランに関係する食品科学に興味を持ち、ウェスト・バージニア・ウェズリアン大学で栄養学を学ぶことにしました。こうして20代の始めには自分のレストランを持つという目標を定めます。写真)ウェスト・バージニア・ウェズリアン大学で栄養学を学んだ

田舎から都会へ エスニックるフードとの出会い

転機はニューヨーク州ハイドパークにある外食産業界のハーバードといわれる名門校「The Culinary Institute of America (CIA)」に入ったときにやってきます。それまで中西部の田舎で育ったポールさんにとって、ニューヨークの暮らしは驚きの連続でした。新たな食の世界への扉が開かれたのです。

高級レストラン「MARCH」で日本人の母を持つ著名シェフ、ウエイン・ニシ(Wein Nish)氏の下で働いたときのことです。ウエインさんに連れられてチャイナタウンに行き、食材店の人たちに紹介され、そこで初めて新生姜というものを知りました。ウエインさんのスタイルはフランス料理をベースにしたアメリカン・コンテンポラリーでしたが、ヒジキなど日本の食材を使っていました。こうして今まで見たことのなかった素材やクリエイティブな食の世界と出会い、大きな刺激を受けます。実家では縁がなかったエスニックフードに魅入られるようになり、特に日本の漬物や韓国料理のキムチ、インド料理のチャツネといった酸味のある発酵食品に興味を広げていきました。

写真)有力米フード業界誌ベストニューシェフに選ばれた

シカゴへ、伝説的シェフとの出会い

ニューヨークで2年を過ごしたポールさんはシカゴに引っ越します。そこで妻のジェニファーさんと出会い、シカゴの伝説的なシェフ、チャーリー・トロッター(Charles Trotter)氏の下で働く機会も得ました。本人の名前を冠した「チャーリー・トロッターズ」は、世界のベストレストラン50にも入る人気レストランでしたが、トロッターさんが54歳の若さで亡くなり25年間続いたレストランが閉まったときは、全米主要紙が追悼記事を報じました。彼の下での料理修行はポールさんのシェフとしての成長に大きな影響を与えたそうです。

最も影響を受けたのはシカゴで一世を風靡したアメリカン・コンテンポラリーのレストラン「Blackbird」で一緒に働いたポール・カハン(Paul Kahan)さんでした。カハンさんは「アメリカ料理界のアカデミー賞」といわれるジェームズ・ビアード賞を受賞しています。ブラックバードでは当時「サロン・シリーズ」と呼ぶアートをテーマにしたコース料理を楽しむ夕食会を開いており、例えば、キュビズムがテーマの夜はすいかを角切りにした料理を考案するなど、創造性に富んだものでした。カハンさんはポールさんのメンターであるとともに、共に切磋琢磨するシェフ仲間でもあったそうです。

写真)2004年にオープンしたVIEレストランはミシェランの一つ星を獲得した

夢の実現、34歳でレストラン・オーナーに

2004年のことです。夢が叶い、34歳で初めて高級レストラン「VIE」をシカゴ郊外のウエスタン・スプリングにオープンしました。ウエスタン・スプリングは禁酒法時代からの慣習で酒類の販売を禁止していましたが、2000年代初めに法が改定され、VIEはお酒を提供する最初のレストランとして話題になりました。地元の食材を生かす「Farm To Table」をテーマにしたオリジナルな中西部料理は評判を呼び、遠くからも食通が来店する人気店で、2011年にはミシュランの一つ星など数々の賞を獲得し、創業20年の今も人気は衰えていません。

西洋料理から大阪のストリート・フードへ

そして2019年に、シカゴで初めてのお好み焼き専門店「ガイジン」をダウンタウン近くにオープンしました。西洋料理から大阪のストリート・フードへの転身です。お好み焼きとの出会いは妻ジェニファーさんがきっかけでした。ジェニファーさんは今は医師ですが、かつて日本で関西外語大学に留学した経験があり、その時に大阪で食べたお好み焼きが大好きなのです。最初のデートで「お好み焼きは食べたことがある?」と聞かれ、「何それ?」と聞くと、2,3回目のデートで自らお好み焼きを作って食べさせてくれました。当時は90年代でしたから今のようにラーメンブームも起きていません。インターネットで調べてもお好み焼きについての記載は見つからず「正直言って、高級フレンチレストランに勤めていた自分にとってお好み焼きは日本料理の範疇には入らなかった」そうです。

写真)お好み焼きのレシピとの出会いは料理本

始まったお好み焼き探究の旅

それでも、お好み焼きのことは気になっていました。ある日、「JAPANESE KITCHEN」という 日本料理の研究家として有名なHiroko Shimboさんが書いたクッキングブックに出会い、そこにお好み焼きのレシピが書かれているのを見つけたのです。インスピレーションを受けたポールさんのお好み焼き探究の旅の始まりです。レストラン「ガイジン」を開店する前年2018年に、本場のお好み焼きを学ぼうと日本にも行きました。お好み焼きソースで有名なオタフクの広島本社を訪れたとき、料理クラスに参加して広島スタイルのお好み焼きについても学んでいます。

お好み焼きを英語に訳すると「AS YOU LIKE」(お好きなものをどうぞ)になる、とポールさんは言います。つまり、食材に何を使っても良いとしたら、創作お好み焼きの可能性は無限です。「ガイジン」のメニューには10種類以上のお好み焼きが並びます。大阪スタイル、広島スタイル、のほか、牛肉を炊いたものを具に入れたり、チコリを使ったニューオリンズ風など変わったメニューもあります。

「外人」をオープンするにあたっては、レシピ本の著者Hiroko Shimboさんに連絡を取り、レストランの名前を相談しました。外人という名前は、自分は日本人ではなくアウトサイダー、という謙虚な気持ちを表したかったそうです。

写真)オタフク広島本社でお好み焼きクラスに参加

今では、お好み焼きを広めるため、シカゴグルメなど食通が集まる料理フェスティバルや様々なイベントに出向き試食活動を精力的に行っています。11月にはシカゴ市と大阪市の姉妹都市提携50周年を祝う派遣団に参加して、大阪の大手お好み焼きチェーン「千房」のシェフとのコラボイベントで米中西部発のお好み焼きを披露します。

バイデン大統領と同じ苦しみを克服

自分の道を迷わず突き進むポールさんですが、今までの人生で一番苦労したことは?と聞くと意外な答えが返ってきました。 子供のころ、吃音に苦しんだというのです。話上手な今のポールさんからは想像も付きません。バイデン大統領が少年時代に吃音のためいじめられたというのは有名な話ですが、ポールさんも自分が恥ずかしくて学校では上手くやれなかったといいます。克服には時間がかかりましたが、母親の前で声を出して本を読む練習を続けたほか、ストレスを感じると吃音が出るため自分の感情をコントロールする術を身に付けて治していきました。

吃音の苦しみを経験したことで人の気持ちが理解できるようになり、学ぶ機会を与えられたことに感謝していると話します。この日、筆者がポールさんの話を聞いているときにホームレスの黒人男性が「トイレを貸してほしい」と鍵のかかっているドアを叩きました。レストランはお客様以外はトイレの使用を断ることが多いですし、閉店中なら尚更です。ところがポールさんは丁寧に応対して男性をトイレに案内します。「優しいんですね」というと「今でも、スタッフを怒鳴りつけたくなるから気をつけなくちゃいけないんだ」と照れ笑いの返事が返ってきました。

仕事の基本、約束を守ること

キャリアで悩む人たちへのアドバイスを聞くと「自分が面白いと思ったことを追求すること」。もちろん、誰もが良い機会に恵まれてパーフェクトな仕事に就けるわけではありませんが、与えられた場でやるべき事をやるのです。例えば午前11時に人と会う約束をしたら、きちんと時間を守って約束の場に行くこと。規律を守る、というのはすべての人にとって重要な教訓になる、と自分への厳しさを持つことが大切と強調します。

写真)ポールさんと2人の息子たち

夢は農家レストラン

ポールさんの夢は広がります。フードを通して人々に異なる文化を学んでもらいたいのです。お好み焼きアンバサダーとしての道を究めるとともに、いつか父のように農地を買って、そこにレストランを建て、自分たちが育てた野菜などの食材を使った料理を作りたいそうです。その時は、お好み焼きもメニューに入っているのかもしれません。

 

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